さよなら、狼さん

雑記とサドンフィクションのブログ 終りの始まりに

孤独なエレベーターボーイ GW誰にも誘われない 我いかにしてボッチとなりしか

今から20年前、新卒で入った会社で最初に上司に教わったことはエレベーターボーイのことだった。

上司はエレベーターで一番の末席とは計器盤の前で、そこでボタンを押したりしてエレベーターを操作するのだ。

キミは会社で最末端なんだからこれからエレベーターに乗るときは必ずエレベーターボーイをしたまえ。

そう言うわけで私は一人のエレベーターボーイになった。

 

それから20年が経った。その20年間、私が求め続けたものとはただひたすら仕事をやりきることだった。

私はそのためならどんなことでもした。

仕事をやりきるために自分の健康さえ差し出した。

しかし、そういう自傷行為のような私の働き方は同僚に嫌がられた。

私はいつもなんでみんな当事者意識がないんだと憤り、やる気のない奴らはとっとと辞めろと口にし、

グチグチ言っている奴はごちゃごちゃ言ってないでとっとと働けと思っていた。

 

その結果、私は周囲の多くの人を敵に回してした。

当然のことだが、20年間、私は誰よりも熱心に働いたが、同僚から嫌われ続けた私は20年間、なんの成果もあげられなかった。

 

40を過ぎても私はエレベーターボーイをしていた。そんな私に誰も何も言わなかった。

最近の若手はエレベーターボーイのことなど知らないのだろうが。よくわからなかった。

 

今日、仕事が終え、GWの前日、エレベーターホールでエレベーターを待っていた。

後ろから同僚たちがやってきた。これから飲むらしい。

特にそのメンバーの誰とも悪い関係になかったはずだが、私は誘われなかった。

 

エレベーターがやってきた。私はいつものように計器盤の前に立った。

エレベーターの中は私一人を除いて全員これから一緒に飲む人たちだった。

私はなんと考えていいのかわからなかった。

ただ計器盤を眺めていた。エレベーターが一階につき私は開くのボタンを押し続けた。

誰も私に何一言かけず、エレベーターから出て行った。

 

泣くのは違う気がした。みんなに仲間はずれにされたと泣くには私は年を取り過ぎていた。

誰かに話したかったが、話したら私の負けだった。

 

GW前の今日、GWが終わったら20年勤めたこの会社を辞めることを決めた。

 

GWに部屋に立てこもる全てのぼっちたちに救いあれと今日、私は祈った。

悲しみは音もなく流れ、私は声もなく泣いた。なぜ、すべてがすでに消滅しなかったのか

なぜ、すべてがすでに消滅しなかったのか

ボードリアールの死の直前、2ヶ月前に書かれ、遺稿となった本だ。

謎めいたタイトルだ。私は長い間この本のタイトルの意味が分からなかったと思う。

 

あの人と初めて出会ったのは私が大学1年生の春、大学の相談室でだった。

私は19才であの人は20代半ばだった。

あの人は大学の相談室に勤めるカウンセラーで私はそこに通うクライエントだった。

 

私が大学を卒業して大学の相談室でカウンセリングができなくなると

私は彼女が勤めている病院に転院して彼女のカウンセリングを受け続けた。

 

私はあの人を愛していた。カウンセリングを受けている、長い月日の

なかで私は何人かの女性とつきあった。

あの人は私が女性と関わっていると聞くと、いつも喜んだ。

いい加減、自分から卒業してほしかったのだろう。

 

しかし、私はあの人が一言私とつきあってくれるといってくれるなら

いつでもその当時、つきあっている女性など簡単に捨てて、誰でもないあの人を選んだだろう。

 

20代を通じて私は何度となく中断を繰り返しながらも

それが週に一回や月に一回の 50分のカウンセリングだったとしても

私はどうしてもあの人に会うことをやめられなかった。

 

10年近くの時がすぎて、あの人の背後から差し込んでいた後光がもはや消えても

私はあの人を求め続けた。

 

彼女と会ったのは私が20代半ば大学病院のリハビリだった。

 

ある意味、私と彼女は似ていた。彼女も長く長い片想いをつづけ、

そしてとうとう諦めていた。

彼女とはリハビリが終えても関係は続いた。

 

私は彼女とつきあえると思った。条件がよかった。

まず、彼女は私の病気に理解があったし、性格も良く、

ルックスも良かった。また私と話が合い、頭も良かった。

 

そして、これからこれ以上の条件で女性とつき合える機会はもはや

一生ないことは分かっていた。

 

しかし、私は彼女を愛してはいなかった。彼女との関係は肝心要の

愛がなかった。どうしても私は彼女を愛せなかった。どうしてか未だに分からない。

 

私は愛していない女に愛しているふりをすること。

愛していない女と毎日生活していくこと。

そんなことは出来ないと思った。そんな欺瞞に満ちた生活を送る

くらいなら、これから死ぬまで確実に続くだろう孤独に耐えるべきではないかと思った。

 

私は彼女とつきあわず、そして同時期にあの人と別れた。

 

それから何年たっただろう。私は仕事の用事で上野駅のホームで電車を

まっていた。上野駅から20代半ばを過ごしたあのリハビリがある。

大学病院まで歩いて行けた。

実際、何度かリハビリから上野駅まであるいたことがあった。

 

上野駅が未だに存在していることがなんだかおかしかった。

私は突然、なぜ、すべてがすでに消滅しかなったのかと思った。

なぜ、この場は消滅していないのかあのころの私たちは消滅して

跡形さえもう残っていないというのに

 

反対車線に電車がすべりこんできた。

 

私はふと誰かと会いたいと思った。

 

でも誰に?

反対車線の電車が発車した後、私の目からは大粒の涙がこぼれ落ちていた。

 

あの人に愛されなかった哀しみ、

彼女を愛せなかった苦しみ。

 

私こそ消滅すべきだったのだ。

悲しみは音もなく流れ、私は声もなく泣いた。

真のマキャヴェリアンは決して自らをマキャヴェリアンとはなのらなかっただろう

真のマキャヴェリアンは決して自らをマキャヴェリアンとはなのらなかっただろう。

その思想ゆえに。

語られたことより、語られなかったことが重要なのだ。

我々が知るべきことはあえて語られなかったことだ。

小鳥たちはいつ消えたのか、放射性物質を自家用車で運び、でたらめな歌を歌う

小鳥たちはいつ消えたの?

炎天下の駐車場で放射性物質を処理していた時にふと思いついたことだった。

といっても私は放射性物質を扱う専門家などではない。私は単なる地方公務員だ。

ある人間がやり場に困り放射性物質を県庁の駐車場に放置し、それを誰も処理したがる人がおらず、長い間放置され、最終的に私が処理しに来たというわけだ。

私はゴム手袋をはめ、マスクをかけていた。そんなことは放射性物質に対して、たぶんたぶん余り何の意味もないことは私の乏しい放射線に関する知識でも分かったが、何もしないよりかはましだった。

誰も引き受けたがらないその仕事を引き受けたのは、何らかの手を打とうと言い出したいいだしっぺが私だったという理由だけではなかった。誰も何も言い出さない会議の場で私は他の職員とは条件は違うことに気づいたからだ。私は遺伝病で子孫を残すことがない。遺伝子が傷ついても私だけの問題なのだ。

いくつかの業者に電話し、引き取ってくれる所を見つけたものの、引取りには着てはくれないことが分かり、結局、私は自分の車で運ぶことにした。

話はそれてしまった。問題は放射能性物質ではなく、「小鳥たちはいつ消えたのか」ということなのだ。炎天下の駐車場で私は小鳥たちのことを考えてみた。小鳥たちはどんなさえずり方をしていたかとか、どこに住んでいたとか、何が好きだったとか、そして、いつ消えてしまったのかということだった。

本当にいつ消えてしまったのだろう。わからなかった。ついさっきまで小鳥たちは私のそばにいたはずなのだが。

いや、違うな。私は小鳥たちを一羽残らず、空に放してしまったのだ。小鳥たちはそれぞれ好きな方向へ飛び去ってしまった。そして私は自分自身を井戸の中に放り込んだ。いや、それも違うな、壁の中に埋め込んだというべきか。

今の職場にも私に近づいてくる小鳥たちはいたのだが、私には自信がなかった。拒絶されるのが怖かった。プライドを捨てられなかった。傷つくことを恐れすぎた。

結局、小鳥たちはいなくなった。私は小鳥たちのさえずりを聞くことはなくなった。

今、私が不思議に思うことは、彼女たちは一体何を求めて私のそばにいたのかということだった。

私はでたらめな歌を大声で歌いながら運転していた。

♪小鳥たちよ おまえたちはどこに消えたのか?

涙が止まらなかった。

朝、起きて、私は馬が水を飲むように水を飲んだ。そして泣いた。青春の終りに

彼女が妊娠していると聞いたのは第三者を介してだった。

 

彼女は同期入社だった。新人歓迎会の帰り、同じ方面のバスに乗った。

「佐藤さん、彼氏とかいるの?」私は聞いた。

「それがいないんですよ。誰かいい人がいたら紹介してくださいよ」

 

『誰かいい人』?

 

別に、私が紹介した訳ではないのだが、彼女は『いい人』を自分で見つけて、彼氏を作った。それどころか、そのうち、結婚までしてしまった。

 

私は当初、予定していた資格を取得し、他の会社に移る気でいた。

しかし、どうしても、最後の一歩が踏み出せなかった。

彼女は同僚。だから、職場を離れたら何の関係もない。職場を離れてしまえばもう、二度と会えないかもしれない。

 

「妊娠したんだって?」

「おっと耳ざといですね。そうなんですよ」

「おめでとうございます」

「ありがとうございます」

 

なんで、直接言ってくれなかった。でもそれが彼女の心遣いかもしれなかった。

 

その週の金曜日、私は飲みなれない、酒を飲んだ。酒を飲むには充分な理由に思えた。

次の日の朝、起きて、私は馬が水を飲むように水を飲んだ。そして台所で大声をあげて泣いた。

 

少年と少女のセックスはどこか哀しい

去年、私は性機能を失った。まず勃たなくなり、そのうち性欲そのものもわかなくなった。

友人にこれで女性と付き合うのも終わりだなというと、友人にちゃんと病院には行ったのですかと聞かれる。

私が性機能を失ったのは加齢のためだろうというと友人は加齢にしても早すぎると言われる。


そして今、中年にさしかかり性機能を失って見て思うのだ。

少年と少女のセックスはどこか哀しいと。

 

学生時代、私にはセフレがいた。学校の帰り道、誘われて彼女の部屋に行き、彼女の部屋でセックスした。


セックスが終わった後、彼女はいうのだ。

「私たち付き合ったりとかしないで、これだけしてようね」と。

まだ、10代、セックスの相手に飢えていた私には悪くない話だった。

 

生殖を目的にしない、純粋に楽しみのためのカジュアルセックス。

単なるひとつの娯楽としてのセックス、暇つぶしの手段としてのセックス。お互いがお互いを親しいと確認する手段としてのセックス。

 

今、痛切に思うのだ。少年と少女のカジュアルセックスはどこか哀しいと。

もう二度とあの彼女と会うことはないだろう。会ったとしてもインポテンツになった私は彼女とセックスはできない。もう二度と彼女の身体をまさぐることはないのだ。


20年前、彼女の部屋で身体を求め会った私たちはもうどこにもなく、ただ私の記憶の中にしかないのだ。

そしてインポテンツになった私はかつての少年時代のセックスがどこか哀しいと思うのだ。

アンディ・フグが死んだとき、ピーター・アーツが

アンディ・フグが死んだとき、ピーター・アーツが病院でテレビのインタビューを受けてあいつはいい奴だったといって顔をくしゃくしゃにして泣き崩れた。

私が死んだとき誰があんな風に泣いてくれるだろう。

そう考えると私は私が生きてきた人生を痛切に後悔するのだ。