さよなら、狼さん

雑記とサドンフィクションのブログ 終りの始まりに

小鳥たちはいつ消えたのか、放射性物質を自家用車で運び、でたらめな歌を歌う

小鳥たちはいつ消えたの?

炎天下の駐車場で放射性物質を処理していた時にふと思いついたことだった。

といっても私は放射性物質を扱う専門家などではない。私は単なる地方公務員だ。

ある人間がやり場に困り放射性物質を県庁の駐車場に放置し、それを誰も処理したがる人がおらず、長い間放置され、最終的に私が処理しに来たというわけだ。

私はゴム手袋をはめ、マスクをかけていた。そんなことは放射性物質に対して、たぶんたぶん余り何の意味もないことは私の乏しい放射線に関する知識でも分かったが、何もしないよりかはましだった。

誰も引き受けたがらないその仕事を引き受けたのは、何らかの手を打とうと言い出したいいだしっぺが私だったという理由だけではなかった。誰も何も言い出さない会議の場で私は他の職員とは条件は違うことに気づいたからだ。私は遺伝病で子孫を残すことがない。遺伝子が傷ついても私だけの問題なのだ。

いくつかの業者に電話し、引き取ってくれる所を見つけたものの、引取りには着てはくれないことが分かり、結局、私は自分の車で運ぶことにした。

話はそれてしまった。問題は放射能性物質ではなく、「小鳥たちはいつ消えたのか」ということなのだ。炎天下の駐車場で私は小鳥たちのことを考えてみた。小鳥たちはどんなさえずり方をしていたかとか、どこに住んでいたとか、何が好きだったとか、そして、いつ消えてしまったのかということだった。

本当にいつ消えてしまったのだろう。わからなかった。ついさっきまで小鳥たちは私のそばにいたはずなのだが。

いや、違うな。私は小鳥たちを一羽残らず、空に放してしまったのだ。小鳥たちはそれぞれ好きな方向へ飛び去ってしまった。そして私は自分自身を井戸の中に放り込んだ。いや、それも違うな、壁の中に埋め込んだというべきか。

今の職場にも私に近づいてくる小鳥たちはいたのだが、私には自信がなかった。拒絶されるのが怖かった。プライドを捨てられなかった。傷つくことを恐れすぎた。

結局、小鳥たちはいなくなった。私は小鳥たちのさえずりを聞くことはなくなった。

今、私が不思議に思うことは、彼女たちは一体何を求めて私のそばにいたのかということだった。

私はでたらめな歌を大声で歌いながら運転していた。

♪小鳥たちよ おまえたちはどこに消えたのか?

涙が止まらなかった。