さよなら、狼さん

雑記とサドンフィクションのブログ 終りの始まりに

悲しみは音もなく流れ、私は声もなく泣いた。なぜ、すべてがすでに消滅しなかったのか

なぜ、すべてがすでに消滅しなかったのか

ボードリアールの死の直前、2ヶ月前に書かれ、遺稿となった本だ。

謎めいたタイトルだ。私は長い間この本のタイトルの意味が分からなかったと思う。

 

あの人と初めて出会ったのは私が大学1年生の春、大学の相談室でだった。

私は19才であの人は20代半ばだった。

あの人は大学の相談室に勤めるカウンセラーで私はそこに通うクライエントだった。

 

私が大学を卒業して大学の相談室でカウンセリングができなくなると

私は彼女が勤めている病院に転院して彼女のカウンセリングを受け続けた。

 

私はあの人を愛していた。カウンセリングを受けている、長い月日の

なかで私は何人かの女性とつきあった。

あの人は私が女性と関わっていると聞くと、いつも喜んだ。

いい加減、自分から卒業してほしかったのだろう。

 

しかし、私はあの人が一言私とつきあってくれるといってくれるなら

いつでもその当時、つきあっている女性など簡単に捨てて、誰でもないあの人を選んだだろう。

 

20代を通じて私は何度となく中断を繰り返しながらも

それが週に一回や月に一回の 50分のカウンセリングだったとしても

私はどうしてもあの人に会うことをやめられなかった。

 

10年近くの時がすぎて、あの人の背後から差し込んでいた後光がもはや消えても

私はあの人を求め続けた。

 

彼女と会ったのは私が20代半ば大学病院のリハビリだった。

 

ある意味、私と彼女は似ていた。彼女も長く長い片想いをつづけ、

そしてとうとう諦めていた。

彼女とはリハビリが終えても関係は続いた。

 

私は彼女とつきあえると思った。条件がよかった。

まず、彼女は私の病気に理解があったし、性格も良く、

ルックスも良かった。また私と話が合い、頭も良かった。

 

そして、これからこれ以上の条件で女性とつき合える機会はもはや

一生ないことは分かっていた。

 

しかし、私は彼女を愛してはいなかった。彼女との関係は肝心要の

愛がなかった。どうしても私は彼女を愛せなかった。どうしてか未だに分からない。

 

私は愛していない女に愛しているふりをすること。

愛していない女と毎日生活していくこと。

そんなことは出来ないと思った。そんな欺瞞に満ちた生活を送る

くらいなら、これから死ぬまで確実に続くだろう孤独に耐えるべきではないかと思った。

 

私は彼女とつきあわず、そして同時期にあの人と別れた。

 

それから何年たっただろう。私は仕事の用事で上野駅のホームで電車を

まっていた。上野駅から20代半ばを過ごしたあのリハビリがある。

大学病院まで歩いて行けた。

実際、何度かリハビリから上野駅まであるいたことがあった。

 

上野駅が未だに存在していることがなんだかおかしかった。

私は突然、なぜ、すべてがすでに消滅しかなったのかと思った。

なぜ、この場は消滅していないのかあのころの私たちは消滅して

跡形さえもう残っていないというのに

 

反対車線に電車がすべりこんできた。

 

私はふと誰かと会いたいと思った。

 

でも誰に?

反対車線の電車が発車した後、私の目からは大粒の涙がこぼれ落ちていた。

 

あの人に愛されなかった哀しみ、

彼女を愛せなかった苦しみ。

 

私こそ消滅すべきだったのだ。

悲しみは音もなく流れ、私は声もなく泣いた。